油彩作品展示室


075    サルティム・ボッカ(F4)

  函館のカフェ・バー。壁がピンクだから、青や緑など補色傾向の中で映える。青空の下で、緑したたる季節の雨の中で。

 


 073 紙を作る人(F6)

  技があって金庫をもたない人はかっこいい。客を見下ろすような寿司職人は修行が足りない。人間を外で並ばせて大きな顔のラーメン屋などは最低。何しろ、人が実用品を作ってやっと始まる世の中。そう実入りのいい職人世界はない模様。

 

074    旅先・小樽港の倉庫Ⅱ(F6)

  港へ行って青い空と白い雲を見ると、これでいいのだ気分になる。どれほどの風雲を見てきたか計り知れない港湾倉庫。やはり青と白が似合う。

 


071    システィナのピエタ(F30)

 ルネサンスの最大傑作を忠実に再現しようとして果たせず。これを買ってくださった方がいて、作者の気持ちは今も恐縮のまま。いつか得心の行くものを描いてお取り替えしたい。切なる願望です。

 

072    小樽堺町Ⅱ(F4)

  観光地小樽の最もそれらしい一角。通りは昔のままでも店の中身はあちこちよく変わる。変わっても誰かがまた何かするから小樽が維持される。店々の人たちにお礼を言いたいような気持ち。

 


069    ヴェロニカ(SM)

 磔刑の場に赴くキリストの顔の血と汗を拭った聖女の名。こういう人が目の前に現れるとは思わなかった。イギリス、ブリストル出身の英語の先生。

 

070    春の北海道駒ヶ岳(F4)

 無人の駒ヶ岳駅を降りると、帰りの函館行きまでは1時間ちょっと。来て帰る機会は一日に2度くらいしかない。申し分なく晴れていた。うまく行った遠足。

 


067    五月の白馬(F4)

 こんな自然があるのなら、日本の7割が山ならば、東京が砂漠だっていいじゃないか、とまでの感嘆。騒ぐと感激が安っぽいから、黙ってこの空気の中を歩くのだ。

 

068    Mさんの肖像(F3)

 目がいつも生き生きした女性。今時珍しいとも言える黒い髪。目鼻立ちもさることながら、人の姿の魅力は限りなくあるもの。

 


065    まばたきひとつ(SM)

 フェルメールの人気の要点は描かれた人物の顔の角度なのでは、と思う。誰でも使えて有用な技法。

 

066    日和坂(F0)

 函館市電の線路から山に向かって伸びるいくつもの坂の一つ。2010年頃の姿か。今はだいぶイメージが違う。昔日の記録になれば。

 コスモスの隠れ咲く午後ひより坂

 


063    氷川丸(F6) 

 昔の偉い人の若かりし頃、氷川丸船上にあって留学に向かう姿。こういう人も船も憧れの的だった。今は氷川丸も当方も退役の身。偉いのは、やはり外国へ行ってきた船の方。

 

064    旅先・小樽港の倉庫(F6)

 いつの頃からあるのかというと全く不明。遠く樺太航路の時代からか? この頃は荷役作業も見ない。ただひたすらここにある倉庫。こちらもただ見て半世紀。

 


061    横浜山下公園通り 秋(F8) 

 小樽の近くで育ったので、同じく港があって異国の香りがする横浜は小樽の代わり。こう言うと、ずっと大きな横浜が憮然とするか。年に2回ぐらい、何か事が終わると息抜きしに来ます。

 

062    「旅先」の人(F4)

 28, 32などに見えるのがこの人物。我が配偶者で元美術教員。90過ぎまで生きたその父も美術教員で、この絵は遺品の古キャンバスに描いたもの。娘を描いて義父孝行。

 


059    あるオランダ人(F10)

 上野の飲み屋で隣り合わせた人。あまりに近くお互いの顔が見えたため話に。その後3回目まで会った。少し人となりがわかったと思った折、写真から描いたもの。

 

060    その日、出遭い(F20)

 子どもの頃、自分が将来何になるのかなどひとつもわからなかった。この花きれい、と思うだけの昔があった。

 


057    小樽港外(F4)

 船に車を積み、小樽港から新潟港へ。この標識灯、いわゆる灯台が見えるのは数分のこと。孤立感、孤高の姿がかっこいい。おぼろげな写真で描くしかありません。

058    ウィスキー工場のポプラ(F6)

 ニッカウヰスキー余市蒸留所構内。奥に進むと売店と試飲コーナー。NHK朝のドラマ以来観光客ががぜん増えてしまったけれど、旅先の憩いに絶好の一隅。


055    顔の習作3(F3)

 昔のデッサンを下地にして。もともと白黒のもので、鮮やかにカラー化を試みた段階では何だか不自然。やはりモノクロのタッチを残した方がよさそう。

056    北海道駒ヶ岳山麓(F10)

 農家の納屋が何たる豪華な借景を、と思うのは当然。山麓を巡り、たまらず結びつけたもの。千の風の声が聞こえそうな広く高い空の下へまた行きたい。


053    きっとまた来る(F8)

 壁は奈良・興福寺の東金堂。右の空白にこのタイトルを入れ、「近畿日本鉄道」などと小さく付け足せばキャンペーンのポスターになるか。アイディアながら、お蔵入りもう10年。

054    顔の習作2(SM)

 トレビの泉で見た美少女。余りの美貌をカメラが勝手にとらえた。服は省略。顔だけの図ならその方が自然で象徴的に美しく見えるものです。


051    ヘアカット(SM)

 自分よりキレイな者は許せない、あるいは、あの顔にいくらかでも近づきたい。どのみち、こんなもんでいいわという顔がない鏡の中。

052    あじさい 夜(F8)

 梅雨は苦でもないけれど、後が夏かと思うと。じっと静かなあじさいでさえ酷熱に干からびるのだから。夏、壁の上でいっしょに耐えてもらう。


049    仕事場のテーブル(F10)

 いわゆるアトリエの一隅。庭の木に勝手になるみかんとバゲットの断面。箱は当工房作の重箱、グラスは小樽、クロスは函館。日々のあれこれ、このくらいの暮らし。

050    W夫人像(F10)

 上野の飲み屋で隣り合わせた人は、オランダの東大に当たる大学の教授でした。その夫人。埼玉県の川口市役所で働いた経験があるとのこと。ご夫婦とは計3回会い、日本語と英語で楽しく会話しました。


047    誕生日Ⅱ(P20)

 住宅の裏を店にした見つけづらいパン屋さんの職人は奥さんで、技はパリ仕込み。バゲットの鼻先はこのように尖っているべきものだそうです。

048    沖縄史の学習(F8)

 学校や生徒のことを感傷的劇的に言うのは何としても避けたい方。(学園ドラマじゃあるまいし)。それでも、手のかかる少年少女たちがいつの間にか真剣な顔になっていることは事実あります。いくつかの場面はあせない記憶になりました。


045    岩見沢郊外(P30)

 この納屋、もしかして要らないのかな、オレにくれないかな、と妄想して引き込まれたのだから、絵とはどういうわけで描くのかわからない。何だか赤い北海道の秋だった。

046    いつもここにいる(F6)

 何をする船なのかわからない。動く姿を見たことがない。いつも函館西波止場にいる。そして忽然消えた船。3年、ここで一度も見ない。


043    運河の画家(P30)

 この故郷、よくぞ捨てにけり。絵を描くため遠路ここに来るのはいい季節のこと。現地には冬でも描いている現地の人がいる。後ろめたい気持ち。

044    ブルネット(SM)

 西洋人の黒髪、ブルネット。同僚だったアメリカ人女性のスナップを借りて物憂げな女の顔に。ただ作るとウソっぽくなる。これでなかなか苦労したものです。


041    顔の習作1(SM)

 顔を美しくするもの、つまり生かすものは目鼻立ちよりも表情。すべての表情は一瞬だけのもの。とらえ得た時はうれしい。

042    T. B. クックの肖像2(F6)

 麦の穂が天から降りてきたような、と言うと意味不明か。美しくもあるけれど、性格がきれいだった。


039    赤城(F6)

 ネットで見た写真が元。ゴッホの麦畑ふうに赤城の田園風景を描いたらどうなるか。非常に差し支えないものになりました。天才のマネは無理。

040    正教会晩夏(F80)

 意外と狭い敷地の一番隅でこのように見るしかない仕組み。季節、空、木々の様子で感慨が違う。描ききれない。


037    討論(P60)

 討論は彫像群でのこと。頭は失くしても、何か言っていたには違いない。人物は英仏での取材。

038    あの日が見えた(P80)

 旅で時々発見するのは、子どもだった頃の自分。明日を探すつもりで旅に出ても、いるのは今の我が身だけ。そのうちいくつもの昔の自分がぽつんと見えてくる。


035    T.B. クックの肖像(F6)

 004「チャイナ・ブルー」と同じ人。She never was a trouble to us. (手を焼いたことがない)とご両親が言うしっかり者。その品格を表し得ない。

036    北海道広尾漁港(F100)

 東日本大震災で大小の船が風呂のおもちゃのように流されて行くのを見た6年前。この漁船もそうなったか、あるいはすでに存在していなかったか。取材は30数年前。


033    多喜二の職場(F6)

 作家小林多喜二が勤務した北海道拓殖銀行旧小樽支店とわかってもらえるのは、さすが主に北海道でのこと。今はホテルで、懐具合がややいい時の定宿。静謐な昔空間。

034    小樽堺町Ⅰ(F4)

 小画面でも石造たるものは大きくなければ。すると小さい部分にかまっていられなくなる。描いていて気が解放されたように感じたもの。


031    小春(P12)

 小春日和のベンチ、子どもだからぽかんと眠るのかと思うと、すでにレディのよう。

032    再訪Ⅰ(F50)

 函館の学校に通う友人を道中のついでに訪ねようとしたところ不在。雪の道や野原を小半時さ迷った覚えがあります。45年前のこと。この赤れんが街はまだなかった。あの時の道かな?


029    ひととき(M12)

 つまり「人と木」。山下公園の外れに立つ一本の木。横浜へ行っては見ているうちお友だちになってしまった。しいの木らしい。

030    通り雨(F15)

 雨が降ると地面に建物が映り、小樽の通りは上も下も石の街になる。晴れて乾いた後の空は大きい。


027    ナナカマドとプラタナス(F4)

 小樽の路上に落ちていたナナカマドと家の近くで拾ったプラタナス。遠い旅をしてきたナナカマドは元気艶々。7回かまどに入れてやっと尽きるという強さ。

028    旅先Ⅰ

 函館五島軒の店内をイメージして。店は函館の都大路というべき二十間坂の中腹。注文したのはふところに響かないサービスランチだったけど、リッチな気分だった。


025    北海道駒ヶ岳(F6)

 山に格別の興味はないし、自然だけの風景を描くこともめったにありません。なぜか、駒ヶ岳だけは別。富士にたいするのと似た、恭順の意のようなものを抱いてしまう不思議。

026    雨上がり(F25)

 考えてみれば川のイメージがあまりない小樽、その掘割。雨がしばらく降った。1週間の旅で2日降られると、計画はほとんど破産。10日ぐらいあれば雨もまたいい。

 


023    誕生日Ⅰ(P20)

 園芸の技量はなく庭というほどのものもなし。それでも敷地の隙間に土はあり、何本かのバラの株に花が咲く。誕生日に自前の花を飾れるぐらいの幸せがあればまあまあか、なんて思う。

024    ルーブルの窓辺(F8)

 上はTシャツ様のもの、下はジーンズ。髪は二つに分け、後ろでまとめる。伝統なのか縛りなのか、意外に一様だったヨーロッパの若い女性たち。原宿を面白がるのもわかる。


021    詩想(P20)

 鉛筆一本紙一枚があればいい。何ならそれさえなくてもいい。それでできる詩は偉い。閃いて書けるのが詩。絵には閃くということがあまりない。やはり、詩は偉い。

022    再訪Ⅵ(F10)

 ギリシャかときかれるけれど、ここは函館ハリストス正教会。ガンガン寺と呼ばれるけれど、その鐘の音はチャンチキ風で楽しい。


019    誕ハリストス正教会(F15)

 森と泉に囲まれて、と演歌調に歌うグループサウンズの雰囲気になった函館ガンガン寺。何だか違うけど、まあこれもいいか。何度となく描いてきたもの。

020    パルテノン(F30)

 こんなのを紀元前の人がよく彫ったもの。ずっと後になるルネサンス黎明期の絵画などは、この写実性に遠く及ばない素朴な表現。時代矛盾の説明はどうつけられるのだろう。


017    日差し(F6)

 横断歩道ですれ違った女性がなぜか印象に。そうだ、ヘプバーンカット! と思い出し、一期一会n記憶をどうにか画面にとどめた。森と泉に囲まれて、と演歌調に歌う

018    楽想(P20)

 小樽祝津の港を見に来たおねえさんのフォークギターが聞かせるのは演歌だったりして。海を見ている人は必ず何か考えているように見える。


015    蘇州の水路(F10)

 中国はデカい、というのは本当だと実感。「東洋のベニス」って一角だけじゃないの? これが邪推。蘇州全部がベニスだった。

016    蘇州の鵜飼い舟(F80)

 舟といい橋といい岸といい古の漢詩の世界。唯一、川底さらいのおじさんたちが着ているのは今のもの。それでも、時代劇の撮影いつでもOKの一帯。


013    ローマの画学生(F3)

 写真を撮っていて目が合った。I'm sorry.にちょっとにこりとしてすぐ自前の顔に。面白くないのに笑いはしないという顔。人格を感じたもの。

014    旅わくわく(SM)

 札幌駅の空間の雰囲気を持ち帰って人物をはめ込んだつもりだけど、まあ、何だかわからないでしょうね。久しぶりだった札幌。


011    アルパカを見た日(P15)

 息子たちの昔々の姿。夏休みが終わる日。ガラスの照り返しの向こうにいる希少動物はどんな生き物かよくわからなかった。

012    行き止まり(F8)

 秋田市のどこかの街はずれ。半ば道に迷った旅人の前に通行止めのロープが一本。またぐことはできるのに、知らない所ではこれでけっこう心細い。


009    昨夜からの雪(F50)

 同名の002はこの作品のための習作。後で知ったことが一つ。東日本大震災での北海道の犠牲者は一人。この路地にお住まいだった。

010    知らせ(F10)

 泰西名画の受胎告知ではないけれど、知らせは時々あるもの。心に響く静かな驚きが、またないかな。


007    フィレンツェの路地裏(F20)

 誰が何の用で建物に入ったものか。古都だけに自転車もうちの近所では見かけない古いもの。昔見た映画の一シーンにしてしまいたい裏町。

008    小樽メルヘン通り(F30)

 小樽でちょっと気になった女性はみんな「小樽のひと」。何しろメルヘン通りだからこんなひとがいないかと思うのだけれど。


005    函館松風町(F10)

 君の噂も絶え果てて、と「函館の女」にいう松風町。君の職場はひょっとするとこの店だったのか。今は更地になってしまった。

006    人待ち(F6)

 今時本を開いて。これが印象になるのだから、世の中は変わり尽くした。後ろの大理石は卵のような形のアーチ。通りかかってほっとする札幌駅の一角。


003    聞こえる(F6)

 パレット上に余った絵具は新しいキャンバス塗り付け、作品の下地にします。この背景は下地そのまま。期せずしていい効果と思った次第。

004    チャイナ・ブルー(F10)

 英語教員時代いっしょに働いた英語指導助手のスコットランド人女性。真摯、静かでプライドあり。こんな美人と肩を並べていたなんて。


001. 画想 (P20)
 晴れてルーブルに行ったならこれをしてみたいと憧れたもの。あれこれ考えれば実現は困難。これから狙うことがあるだろうか。

002. 昨夜からの雪 (F6)
 昭和中期を思わせる家が函館ではあちこちに。路地ごとそれというこの場所は圧巻。突き当りの函館朝市は一代前の姿。