Labo Kurohama  巻頭言保存

8頁(351~400)


351.   6月25日は数字をつなげて通称「ユギオ」。1950年のこの日、朝鮮戦争が勃発した。当方はその前の四月誕生。太平洋戦後5年、すでに焼け跡感は失せ生活の糧も回復していた。隣国の戦争による特需景気で日本は高度経済成長の兆しを見せていく。戦争も徴兵も飢えもない有難い時代に生まれ育った者がいたものだ。朝鮮休戦12年、日本からの戦後補償費数億ドルで韓国は「漢江の奇跡」といわれる経済成長の基礎を築く。北朝鮮との戦争は公式的には続いたまま。これを指導者おにいちゃんはどうする。休戦から終戦へ、さらに日本からの戦後補償。入る予定のカネはざらざら。大半がおにいちゃん個人のポケットに収まるはず(2018.06.25)  

 

352.   以前、厚生労働大臣が「子産み機械」発言をして辞任した。もっと前、自民党が政権を奪われていた頃の官房長官発言だったか、「暴力装置としての自衛隊...」に野党が色めき立った。「暴力装置」は社会学の用語で、暴力団と同じ意味の暴力を指さない。「子産み装置としての女性」も人間の仕組みをそう言ったもの。議員たる者このぐらいの勉強はしているはず、と発言者は思ったのだろう。ところがそうではなく、相手は世間一般の人のようにコトバ遣いでカッとなった。今回、「子どもを産まない方が幸せだという勝手な考え」。落ちたもの。これはそこらの純粋おっさんの考え。自民党二階幹事長はものすごく常識的な人だ。(2018.06.26)

 

353.   ボールを蹴って走り回れば楽しかろうけれど、そのために数百億円の競技場を建てたとなれば遊び心はどこへ行ったかと思う。国と国が戦うボール蹴り。国民一般を巻き込んでムキになりメンツをかける様は理解の範囲を越える。「サッカー見た?」。見なかった人はいくらもいるだろうに、見ない者を不思議そうに見る。昔、この競技を己の命であるかのように奉って瞳を輝かせる人があり、悪いがげんなりした。ある種のラーメン職人を連想した。たかがラーメン、されどラーメン。水の流れのようなこの物腰をもたない硬直の人が旨いラーメンを作っても美味くない。ぎらぎらの目をしたサッカーは半端でなく凄いんだろうか。(2018.06.27) 

 

354.   「朝日」で事柄の骨組みを知り、それを批判的に見るとどうなるかを「赤旗」から読み取る。オレは左の度が過ぎるかなと思えば時々「読売」も借りて読む。一般に右傾向になじむと後が速いから、基本は左寄り。こうして30数年に渡り3紙程度購読していた新聞を退職とともにすべてやめた。あれから10年以上、インターネットで読む新聞はつまらないものと知った。紅茶なり番茶なりたしなみつつ朝のテーブルに紙を広げるのが一番だ。人間一人が座って半畳以上でいられる。今時の若者層は新聞を読まず自民党支持者だそうだ。「新聞を読むひまもない」と昔は言った。「働き方改革」の昨今、人々は新聞そのものを忘れたか。(2018.06.28)

 

355.   日本は四季の変化が豊かな温帯の国。これはうそだろう。亜熱帯で十分通じるこの暑さ。現に南の国の人が日本の暑さは耐えがたいと言う。その日本に雪が降る。だから亜熱帯にはしないのだそうだ。日本の冬は寒い。雪で家が潰れ、路上で人が凍え死ぬ。それでもこの夏があるから亜寒帯とは呼ばれない。地球全体としての気象用語はおかしいのではないか。日本社会の風俗習慣も夏はちょっと無理だ。酷暑ゆえの夏休みに休まず普段以上のことをする。せっかく休んでもお盆帰省で50キロの渋滞に放り込まれる。高校野球、ご苦労と言う他ない。集団で何となくこれと思っているものは変えづらい。日本の夏はとかくご苦労だ。(2018.06.29) 

 

356.   絵を描いて会心の作ができたら美術館の展覧会に出せばいいかというと、それで膝が崩れるほどの落胆を経験することがよくある。オレの一番の傑作というものを自宅六畳から美術館の壁面に移す。すると、自分の作の前で目を覆うのだ。こんなものを描いて一時は喜んだのか、と思う。この落差は自宅大アトリエと美術館の巨大壁面、およびそれらを囲む環境の違いによるもので、あらかじめ計算してうまく描くという対処を許すものではない。会心を会心とするためには、この文字通りの壁を賭けで克服するしかない。同じ困難は、隣の作品を見るときには感じないものだ。こうして10年、約40作。満足できたことは一度もない。(2018.06.30)

 

357.   この頃の就職面接はする側も大変らしい。生まれや親の職業を訊けないのはわかるが、「好きな歴史上の人物は」もだめとなると理由を知りたくなる。NHKのドラマの立場がなくなりそうではないか。「マルクスをどう思う」。そもそも今時質問として成り立つのなら面白い。高校教師時代、企業に逆面接に行ったことがある。さる金融機関に就職希望の女子生徒は母親が世に言う正妻でない。これを母親自身が心配している。心配を無視できないから訊きに行く羽目に。差し支えないよう扱うと会社は言う。変な話だが、そういう時代だった。今はやたらなことを持ち出さず被面接者の人物像を言外に探る。変わる面接に注意、だ。(2018.07.01) 

 

358.   良くない時には悪い事が重なるもので、この暑さの中、車のエアコンが壊れた。昔の人は金持ちといえどこういう熱いものに乗っていたのかと感心。次いで、仕事場で最も頼るエアコンの効き目がやわになった。使っても使わなくても体感はほぼ同じ。取り替えを決意。8万4千円、モノの割に安いじゃないかとはしゃいだのはつかの間。あれやこれやで結局11万円少々。このところいじめられていると感じる。よく生きてきたものだ。冷房などない店で人々が汗だらだらになってラーメンを食べたのはこの間。あの頃仕方なく耐えたことに今は耐えるつもりがない。耐えるのは、耐えるしかないからそうするのだろう。畏敬すべきは昔。(2018.07.02) 

 

359.   南米チリのあの鉱山事故は8年前の8月。落盤生き埋め事態発生の10数日後、地下700メートルにいる33人の無事を確認。縦穴を掘る。人一人が縦に入るカプセルをワイヤーで吊し入れる。所要時間15分、ワイヤーを巻き上げ、一人ずつ地上に運ぶ。閉所でこの時間は恐怖だろう。縦穴の壁にカプセルがこすれて止まったら? ワイヤーが疲弊したら? 結局の悲劇がいやおうなく予想されるところ、全員が生還した。忍耐、寛容、結束、執念。地下と地上の両方が世界の賞賛を浴びる。しかし、この感動物語の話題はその後間もなくぱたりと止んだ。タイの洞窟で13少年が救出を待つ今もあまり引き合いに出されない。こんなものか? (2018.07.03)  

 

360.   河口からボートを海にこぎ出したことがある。乗った潮によってはそのまま海原を漂流したかもしれない。山脈の突端が海に突き出て斜めの崖になったところを下駄履きでよじ登ったことがある。落ちればそこは誰もいない海。そこらの子どもだった頃の遊び、いたずら、冒険はいくつも。命を失わなかったのは、怖いと感じる機能のお陰だ。タイの少年他13人は、魔境というべき洞窟の奥5キロまで何故入ったのだろう。水没部分があり得ることを誰も知らなかったなどとは考えにくい。わかっていれば、自分たち昔の子どもはその冒険を冒険と認定しなかっただろう。小川の丸太一本橋を渡れと強いられて渡ったた記憶などはない。 (2018.07.04)

 

361.   情け容赦なく進められるのが禁煙。国がたばこで税金を稼いでいると言われても禁煙。昔ある時、禁煙教育のために医師団が学校へ。君らのためだと壇上声を荒げる医者たちに、全然素直でない生徒たちが騒ぐ。それでも禁煙。昨日まで愛煙家だった者がいきなり熱く説く禁煙。豹変ぶりが人を戸惑わせようと、禁煙。何が何でも押し切らなければ禁煙など達成されるものじゃない。そう思う。昔はたばこ社会だったのだからと情状酌量するなど手ぬるい。それでも、だ。この大ムーブメントに声を合わせるには遠慮がある。たばこは10年前にやめた。以来一度も使わない灰皿はまだ家にある。片付けるつもりはない。何かに使える。 (2018.07.05) 

 

362.   たばこの百害あって一利なしはほぼ事実だけど、深く何事か考える時、気分が晴れた時、多くはそこにたばこがあったのだ。職を辞した直後、旅に出て船に乗った。デッキチェアにふんぞり返って見上げた青空に高く缶ビールをかかげ、セブンスターの煙をぷかあ~と吐いた時はたばこに一利ぐらいあることを生々しく確認した。こういうムダを普段想像もしない人が言う百害一利はどういうものなのだろう。酒になら二、三利はあろうに、講演で「気晴らしに酒なんて消極的」と聞かされては一同息を詰まらせたものだ。東京都知事などが禁煙条例を言う。これも聞いていて大変だ。条理兼備でたばこをやっつける人はいないのかな。 (2018.07.06) 

 

363.   夏になると聞こえてくる「精霊流し」、ずいぶん情緒的感傷的な曲だと思う。単純素朴だったフォークソングへの対応的傾向だろうか。誰か死んだことにして偲び悲しむのはよくあることで、何だかかなわん。お盆時、北海道では笹の葉を折って切る笹舟にろうそくを立てて流した。しんみりしていなかった。うまく流れたのろうそくが倒れたのと騒いだものだ。その前の七夕、今にして思う。短冊を下げたのは柳の木だった。北海道に笹は売るほどあっても竹がない。「内地」からすれば外国めいたことをしていたわけだ。用の済んだ七夕柳は川に流され、開けっぴろげに水面を散らかした。情緒とは、後で折々きれいになるものだ。 (2018.07.07)

 

364.   往生際という言葉がある。これをきれいにできなそうな人物に死刑執行。死刑とは生かしておけない者に対する処置なのではないか。身柄拘束から23年、刑確定から12年。ある病気の人の予後よりずっと長く生きたことになる。寿命に恵まれなかった人より長い年月を死ぬために生きるとは、どういうことだろう。生きること、死ぬことの意味がわからなくなる。権力者などは、無数の人を殺しておいて自らの生はまっとうするものだ。米大統領とにこにこ会談をしたりもする。誰であれ、お前を殺すとなったら事の意味がわかる間に実行すべきだ。死刑囚を証言のために生かしておくのは、小理屈の中で酷なものに思われてならない。 (2018.07.08)

 

365.   月給を取りに来いと事務室から呼ばれることが勤め人時代によくあった。明細書をもらう話とはいえ、有難き月給を忘れる。そのように人間性を欠く忙しさだった。7月も何日かが経ち、夏本番はあと2か月程度。この2か月という代物、あの忙しかった日々のようにぱっと過ぎてくれないものだろうか。朝仕事を始める。いいものが描けずせわしい気持ちでいるうちにもう夜。一日はどうしようもなく短いのに、夏は長い。時とは何なのだろうと思う。3億年待てと言われればそれは無理だ。しかし、そういう時間を過ごした地球に現にいる。時間とは長さにあらず、なのかな。アインシュタインここにもありの気分が一瞬。暑い夏だ。 (2018.07.09) 

 

366.   冬の朝、収穫を終えた畑に広がる黒い土のただ中。サギか、枯れた篠竹に寄り添う鳥の白が鮮やか。体を突き抜ける強い風。首を縮め、総身の羽毛をふくらませてなお震えつつ寒さに耐える。厳しい季節を生き延びる自然の住人のたくましさを近くで見たいと思った。目が良くないということか、それがサギでないことは通勤途中の忙しい車を降りてからわかった。鳥でさえなかった。篠竹に引っかかって風をいっぱいにはらむ白いレジ袋。酷暑になると決まってこの記憶がよみがえり、少しだけ涼しくなる。レジ袋は大事、重宝。世間はこれをムダの代表のように言うが、時流に雷同していないか。袋や容器は文明の始まり、根幹だ。 (2018.07.10)

 

367.   石油製品の約25%は捨てるためのものだそうだ。レジ袋はものを収め運ぶための製品。これを最初から捨てる部類に組み込み、使用後は廃棄行動を積極的に助けるものにすればいい。捨てられる石油の割合はいくらか減るし、現に世の人の多くはこの仕組みに従っている。それでなおレジ袋をけしからんと言うのが理解できない。きちんと捨てるのは人たる者の義務。ポイ捨て、置き去りをしないこと。海、山、川、およそ人が直接住まない所にものを捨てないこと。これを徹底せずどうしてレジ袋を憎むのか。昔たばこの吸い殻に埋もれていた駅のホーム下は今はきれいだ。無責任な大衆にだってこのくらいの反省はできるだろう。 (2018.07.11)

 

368.   女性の自動車運転を今頃「許可」した国が世界にはあるんだと。ワケは深いんだろうけど、早い話、「アホかいな」。女は一人で外に出るな、出るなら目の他全部隠せ。もっと深いワケがありそうだけど、聞けばきっと満場爆笑。こーゆーおもろい世間とご本尊が遠い所にあるんだと。遠い国に負けないこの暑さ、日本にもうすぐ八月が来る。先祖のココロが帰省する。昔からの民俗信仰が仏壇でチーンとやって昼から提灯がつき、きゅうりやナスに脚が生える。何だかよくわからないけど、いるんだかいないんだかの神々やたら大勢はあまりうるさいことを言わない。こんなもんですよ。偉い神の宗教より、大事なのはそこらの信心。 (2018.07.12)

 

369.   「半端じゃない」を変形した言葉はお利口さん向きと言えないが、何とか強調したい気持ちは分からないでもない。そういう暑さが今年は一貫。言葉使いも変になる。「何かおかしくねー?」。あと2年という東京五輪のうわさを聞いてそう思う。この暑さの中でやろうと言うのか。そのわけをいくらか聞いて、なおかつまったくわからない。あの東京五輪、そして学徒動員の舞台だった旧国立競技場を、また「日本中の青空を集めた」10月10日体育の日をぶち壊して使う体力とカネは何のためだ。盗作騒ぎで仕切り直したシンボルマークも結局同じようでつまらない。のどかにやろうよ、涼しい時に。東京五輪64は秋祭だったんだ (2018.07.13) 

 

370.   こんなに暑いにせよ、並の夏の暑さにせよ、夏は極力何もしない。朝、仕事場に移動、夕方、スーパーで買い物、帰宅。これを繰り返し、無言で秋を待つ。すると、庭の木が茂る。芝生が伸び盛る。猫の額のことだけにみみっちく目立ち、みっともない。それでも、ひっくり返って干からびるのはいやだから庭仕事をなるべく忌避する。いつか限界。芝生を這う。木に足をかける。10秒で汗だら。しかし、いやいやながらこのようにして救急車が来たことはない。過酷でも少しは働く方が人間にはいいのだ。そして考える。近未来の酷暑、終日ベッドの上。永らえようとしてできることがない。どう頑張ればいい? 頑張るのは今のみ。 (2018.07.14) 

 

371.   暑さでいやになり手入れご無沙汰だった裏庭に。雑草といわれるものが繁りに繁り、そうでないものは息も絶え絶え。どちらも放っておかれたどうし、何でこうも違うのか。ブルーベリー、臨終。ばら、要介護。その中で、さすがは木、ミカンが鈴なりザラザラに小さな青い実を養っている。そこで、NHKラジオ「ひるのいこい」。けなげに生きる小さな命に心打たれ、詫び、そして「元気をもらう」。癒やされるとさえ言う。中高年になると感動のパターンはいくつかに決められてくるらしい。オレもこの気分で炎天の下に立っているのかな。主体性はないけどまあいいか。酸味のあるミカンを頬張る秋を思って汗が少し引いたから。(2018.07.15)